岡田紗佳が語る『麻雀におけるオカルトとデジタル』

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 日本プロ麻雀連盟所属の女流雀士兼モデルで有名な、岡田紗佳プロが麻雀の『オカルト』『デジタル』について持論を展開しました。

岡田紗佳プロの以前の記事はこちら↓
【ノンノ専属モデル兼麻雀プロ】中国人ハーフ岡田紗佳の素顔に迫る!

岡田プロは、近代麻雀の中で『おかぴーのココがイイたい!!』というコーナーを持っており、麻雀に対する考え方を発信しています。

オカルトというものは、麻雀に限らず他のギャンブル(パチンコとか)でもよく耳にしますよね。

運の要素が強く絡む場合に、オカルトを考える人がいます。

麻雀においてのオカルトは、昔から大事にされてきました。

対するデジタルは、麻雀では比較的新しい考え方です。

デジタル麻雀を推奨するプロ雀士も多数おりますし、2004年にとつげき東北という人が書いた『科学する麻雀』という戦術本が発売され、「これまでにない前代未聞の麻雀戦術本」としてデジタル麻雀は一躍広まることとなります。

ネット麻雀の世界で自称デジタル雀士とかが出てきたのもこの戦術本の影響もあるのではないでしょうか。

麻雀におけるオカルトとデジタルについて、岡田紗佳プロの考えを交えながら考えていきたいと思います。

オカルトとデジタルの考え方

冒頭でも触れましたが、オカルトというものは運の要素が強くからむ麻雀ではつきものです。
昔から麻雀の戦術としてオカルト的考え方が広く伝わっていました。

中国人の祖母を持つ岡田プロは、「私に最初に麻雀を教えてくれた中国にいるおばあちゃんは、普段は右だけど、ここぞという時に左手でツモるとツモれるらしい。また中国では8がすごく縁起のいい数字だから、8待ちにするといいらしい。」と言っており、中国麻雀でもこのオカルト的考え方は広く伝わっているようです。

またこのオカルト的な考え方は、「流れ」をとても重要視します。

そしてこの「流れ」を見極めることが重要であると考えているのです。

例えば、「前局アガったし、この局も配牌が良い。流れがいいからここは強く攻めよう。」とか、「前局高い手に放銃してしまって流れが悪い。この局はいい手になりそうだけど流れの良さそうな親が攻めてきたら闘うのはやめよう。」という考え方をします。

つまり、かなり極端に表現すると、局と局はつながっており、前局の結果が次局の結果を左右するというものです。

対するデジタルの考え方は、この「流れ」というものを一切無視する考え方です。

局と局は独立しており、前局の結果が次局に影響することはないというものです。

よって、「前局高い手をアガって調子が良くても、無理に攻めようとはしない」とか、「前局は高い手に放銃し、その相手から先制リーチが来た。こちらもいい手だから勝負」と考えます。

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プロでも分かれるオカルト派とデジタル派

プロ雀士の中でも、オカルト的な考え方をするオカルト派と、オカルト的要素を一切考えないデジタル派に分かれています。

オカルト派で有名なのは、日本プロ麻雀連盟の小島武夫プロとか、森山茂和会長とかは完全流れ論者ではないでしょうか。

岡田プロは、「瀬戸熊直樹プロや猿川真寿プロも流れを重んじた解説をする」と言っています。

対するデジタル派で有名なのは、麻将連合の小林剛プロ、最高位戦日本プロ麻雀協会の村上淳プロ、日本プロ麻雀協会の鈴木たろうプロ(この3人は、昔オカルトバスターズというチームを結成していた)です。

どのプロもめっちゃ強く、かなりの実績を挙げている雀士ですが、その強い人たちですら考えが分かれるのですから、オカルトとデジタルの対立は永遠に続いていくのではないでしょうかね。

結論

結局、そのめっちゃ強いプロでも考えが分かれるのですから、どちらが強くて正しいかというのは言えないのではないでしょうか。

岡田プロも、「流れ派か、デジタル派かはどうでもいいのです。流れ派も、デジタル派も、相手がなにをしてくるかを知ることが麻雀をしていく上で大切だと思います。」と考えています。

そして、「麻雀に強くなりたいのならば、相手がなにをやってくるかを理解するために、どちらも熟知しなければならない」と言っていました。

ちなみに僕は、別にデジタルというくらい理論的に考えられているわけではないですけど、流れは一切ないと思っています。(アルティマ卓の偏りは感じますけど…)
結局確率論だと思いますよ。

運はみんな平等であり、あとはその中で常に最善の打牌選択をすることしかないと思います。

たまたまアガりや放銃が続いたりすることがあるのは、ただの確率の問題です(常に同じ精神状態でブレない打牌選択をすることが前提)。

その確率によって起きた事象が積み重なって麻雀というゲームが成り立ちます。

そして人間というのは、たまたま同じ事象が続くと、その事が強く記憶に残ります。

つまり、その記憶が、確率によって起こる事象の積み重ねを「流れ」と捉えてしまうのではないでしょうか。

たまたまアガりが続くと、「流れが良い」と捉え、逆に放銃が続くと、それは「流れが悪い」と捉えてしまうのではないでしょうか。

しかし、よく考えてみて下さい。

自分がアガったあととか、1000点とかでサッと流されたりしません?

結局、印象が薄いとその分記憶にもそんなに残らないですよね。

つまり、前の局が次の局に影響することはないのです。

メンタル的に追い込まれて暴走するとかはまた別ですが。

人の手や牌の山が分からないので、目に見える自分の手牌と全員の捨て牌から判断するしかないので、流れとかを考えるのも分からないでもないですけどね。

麻雀は、自分の期待値が高い打牌選択を常にできる人が強いと思います。

その最善の打牌選択をするために、感性つまりオカルト的な考えで打つのか、または緻密な計算で答えを導き出すのか、その違いではないでしょうか。

結局どっちが正しいかはわかりませんが、
「オカルトもデジタルも個人の自由で、それを人に無理やり聞かせるものではない」と考えている岡田プロに結構賛成できました。

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